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大正時代の市場家(ピクシスvol.39より) |
弊舗は、創業元禄7年(1695年)、時代は五代将軍徳川綱吉の時代から、仙台藩祖伊達政宗公家臣の旧伊具郡角田町(現在の宮城県角田市)の臥牛(がぎゅう)城主石川公の御用菓子司を勤めておりました。
先々代の市場福四郎は明治時代に市場家本家(現在の宮城県角田市)から分家として独立し、現在の店舗のある宮城県大河原町の白石川沿いで製造を始めました。その後、市場家本家は大正時代に角田の大火で消失し再興できなくなったため、分家であった市場福四郎が『晒よし飴』秘伝の技を引き継ぎ、今日まで伝統を守り続けております。
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